０３．１２．０７
フリーメーソンのモーツアルト 野口幹夫
風邪を引いて寝込んだら、いつも暇な時間ができて、音楽を
じっくり聴く時ができる。この冬はそれが早々とやってきて
しまった。
今回聴いたのはモーツアルト。それもFM放送などではめったに
放送されることのないフリーメーソンのための音楽を選んだ。
とは言ってもオペラ「魔笛」ではない。彼が入門してから、
フリーメイソンの儀式のためにつくった合唱曲の数々である。
男声合唱で元気な曲が多いので、ドイツの学生寮歌の雰囲気が
ある。フリーメイソンは伝統的に男性のみの結社だったに違いない。
原則として女人禁制ではないと思えるのは、フリーメイソンの入門の
試練儀式を描いたと言われる「魔笛」は、タミーナとタミーノの恋人
同士が手を取って試練を受け、入門を成就するドラマだからである。
モーツアルトとフリーメイソンの関係は、世間のモーツアルト理解
よりずっと深い。映画「アマデウス」には、まったくその陰はない
し、数多くの「モーツアルトの生涯」ものにもそれは重視されてい
ない。まるで秘密結社にふれるのが、今も恐ろしくてタブーである
かのようだ。しかし彼とフリーメイソンの関係は、彼の生涯で、
内面でもまた外部からの制約でも二重に重い影響を与えている。
それなくして彼を理解するのはできないと私は思っている。
彼は神童の名を恣にして、父に連れられてヨーロッパの王侯貴族
の寵児となって旅をした。彼が青年となり落ち着いた職を得ようと
するとき、当然その高い評判人気からして、どこの宮廷でも良い
地位を得ることができたはずと彼も父親も考えたはずだ。ところ
が、１７７３年１７才の時ミラノ王国での宮廷音楽家としての
就職を断られたときから、それこそ一転してどこの宮廷からも
冷や飯を食わされていくのだ。その転機になにがあったのか。
それはマリアテレジア女帝からミラノ王国にもたらされた一通
の手紙である。そこにモーツアルト親子を「役に立たぬ親子だ」
ときって捨ててあったのだ。マリアテレジア女帝は５才の神童
モーツアルトを抱き上げたといわれているし、娘アントアネット
とも遊んだ仲なのだ。なぜなのか。
それを解く不思議な歌曲が残されている。作曲年代は不明だが、
作風からして、１７７２年１６才頃のモーツアルトの作品とされる
Ｋ１４８「おお聖なる絆よ」という曲である。内容は明らかにフリ
ーメイソンをたたえたものだ。モーツアルトは旅の途中で、たくさ
んの貴族知識人と出会っている。当時進歩的な貴族に浸透していた
フリーメイソンにも出会ったはずだし、若くして不羈の精神を持っ
ていたモーツアルトはそれに深く共鳴したのにちがいない。
フリーメイソンは、元来の教養主義的石工集団から転じて、１８
世紀には、元来の信仰や儀式を温存しつつも、石工集団という職業
団ではなく、自由な開明的教養団として転身していた。封建権力
と、偏狭なユダヤーキリスト教からの自由を求め、理神論とも
言われる宇宙神を信じ、自由・平等・博愛というフランス革命の
温床となった思想を提供していた。支持者は啓蒙主義的貴族、
知識層であった。
これを危険思想として敵視したのは、支配層トップのマリアテレ
ジアやカトリック司教であった。フリーメイソンは各地で禁止
され、秘密結社となった。
モーツアルトは青春の純真さでフリーメーソンに共鳴したのであ
る。おそらく全ヨーロッパに張り巡らせていたマリアテレジアの
秘密警察の主な目的はその動静を探ることであったはずである。
不用心なモーツアルト親子はそれを知らず、マリアテレジアのも
とに、フリーメイソン接触者としてブラックリストに載ったのだ。
自分たちのことをそんな風に遇しているとも知らず、各地の宮廷
に就職先を求めて次々に失敗していくのである。
しかし、結果としてみれば、モーツアルトが宮廷音楽家としての
道をふさがれ、教会音楽家の道も自らたったことは、人類にとって
幸いであった。「民衆の中の音楽家」モーツアルトが生まれたこと
になったからである。かくして人類の最高の文化遺産「フィガロの
結婚」「魔笛」などのオペラがそこから生まれたのである。
１７７９年マリアテレジアが死んで、やがてフリーメーソン禁
止令も解かれ、各地で公然とした活動をはじめた。モーツアルト
が加盟したのは１７８４年。彼は入団が認められたことが大変
うれしかった。彼が参加したロッジもまた彼の入団を喜んだ。
彼は、彼の父も、友人であるハイドンも説得して次々に入団
させたし、すばらしい音楽を団のためにつくった。その音楽を
風邪でぼけた頭で聴いたわけだ。
フリーメーソンの思想は彼を救った。彼の威張る貴族嫌いは
メーソンの人間平等主義で、サポートされた。彼はよいクリス
チャンであった。しかし悪しきユダヤ的キリスト教会の支配者
司教は彼を受け付けなかった。彼の信仰は純粋で、イエスの弟子
そのものであった。しかし教会の弟子ではなかった。イエスの与
えた永遠のいのちの教えは教会からではなく、メーソンから受け
た。彼は死をおそれることがなくなった。
彼が病の床についた父に送った手紙が残っている。
父（在ザルツブルク）へ
〔ウィーン、一七八七年四月四日〕
……たった今、私をひどく打ちのめすような知らせを聞きました。
最近のお手紙から、ありがたいことに大層お元気だと推察できた
ばかりなのに、お父さんが本当に病気だと聞いたので、なおさら
がっかりしました。安心のできるようなお知らせをお父さん自身
からいただくのを、どんなに待ちこがれているか、申すまでもな
いことです。きっとそんなお便りが、いただけますね。もっとも
私は、何ごとについてもいつも最悪のことを考えるのが習慣に
なっています。
死は（厳密に考えて）われわれの一生の真の最終目標なのです
から、私は数年この方、人間のこの真の最善の友ととても親しく
なって、その姿が私にとってもう何の恐ろしいものでもなくなり、
むしろ多くの安らぎと慰めを与えるものとなっています！ そして
神さまが私に、死がわれわれの真の幸福の鍵だと知る機会を
（私の申すことがお分かりになりますね）幸いにも恵んで下さった
ことを、ありがたいと思っています。私は、（まだこんなに若い
のですが）もしかしたら明日はもうこの世にいないのではないかと、
考えずに床につくことは一度もありません。
それでいて、私を知っている人はだれ一人として、私が人との交際
で、不機嫌だったり憂鬱だったりするなどと、言える人はないでし
ょう。そしてこの仕合せを私は毎日、私の創造主に感謝し、そして
それが私の隣人の一人一人にも与えられるようにと心から願ってい
ます。……
私がこれを書いている間にも、お加減がよくなるようにと望み、
またそう願っています。しかし思わくどおりによくおなりになら
ないとしても、・・・に誓って、それを私にお匿しにならず、
ありのままの真実をお書きになるか、だれかに書かせるかして、
私が一刻も早くお父さんの腕に抱かれることができるようにして
下さい。われわれにとって神聖なすべてのものにかけて、お願い
いたします。それにしても、まもなくお父さんから安心のできる
ようなお手紙をいただくものと望んでいます。そして、その快い
期待の中で、妻やカールと一緒に、お父さんのお手に１０００度
もキッスをします。いつまでもお父さんのもっとも従順な
息子 W・A・モーツァルト
人間が、死を前向きに受け入れることができるようになるのは、
イエスが始めて人間にもたらしたものであった。にもかかわらず、
死を、罪の裁きと、厳しい煉獄の試練の思想によって恐ろしいもの
としたのは、イエスと相容れぬユダヤ的キリスト教であった。
モーツアルトは幸いにして、あらゆる世の脅しに屈することのない
メイソンの思想によって直感的にイエスの救いに預かったのである。
彼はメイソンであってこそ真のクリスチャンであったのだ。
そのように信じる私は、かれの絶筆「レクイエム」を、世間のように
未完に終わったとは思わないのである。私はレクイエムは舞台で３
回歌った。その前半は厳しい音楽で、歌っていても楽しいものでは
ない。
彼がこの世の不正にすべての怒りをぶっつけるような、第６楽章の
コンフターティスの終わりは、地をはうような祈りになって消える。
そしてすべてを許すような清みきった心境になった第７楽章ラクリ
モサが始まる。そしてその４小節から、この世で一番美しい、とぎれ
とぎれの和音の、２度ずつの上昇がはじまる。それが、８小節まで
実に１オクターブ半の音階上昇を続けて上り詰めたところで彼は筆
をおいたのである。
彼の魂はかくして昇っていったのである。これ以上なにを書き
足すのか。
私はモーツアルトのレクイエムの演奏は、ここで演奏を中断すべきだ
と思っている。残念ながらあらゆるＣＤにもその例はないし、私の
指揮者にも提起しているが実現しない。１分の中断を置いてから
継続し、そのさき弟子のジュースマイヤーの補筆を、それはまた
それなりに傑作として聴くべきであろう。それがモーツアルトへ
の敬意を示すやり方だと思っている。
彼は、所属したロッジから最高位のマスターの称号を得て、敬意
を持って遇されたし、晩年経済的に困ったとき、助けたのは
メーソンの仲間であった。やがてフランス革命からアメリカの
独立戦争まで地下水のように世界を動かしていったメーソンが、
実はモーツアルトの珠玉の音楽の産婆役を務めたのである。
